世界中の「あの人」を

ブラック会計事務所勤めで人生詰んだ私があなたのヒマをつぶすブログ

「ゴーン・ガール」もう読んだ?

f:id:haruomo:20180218023228j:plain

 

妻が消える。5回目の結婚記念日であるその日に。

 

付随する情報: 微妙になってしまっていた夫婦仲、不自然な拉致現場(自宅)、そこに被害者(妻)の血液反応あり、妻の日記、オレ語りをする主人公(夫)の言葉の中にある嘘、夫婦間だけで通じる特殊メッセージ、秘密と欺瞞と嫉妬と虚栄心と罠と、あとは嘘、嘘、嘘、嘘、嘘。ぜんぶだ、ぜんぶ嘘。

 

ゴーン・ガール」は、妻がいきなり失踪した夫の目線から物語が開幕する。それと交互にいきなり挟まってくる「妻の日記」。まず浮かぶ最初の疑問があるのだ。コレどこから出てきて、いつ誰が読んだ日記なんだ? もちろん答えは示される。凄まじい悪夢の発現とともに。

 

この小説を読み始めて、読者はすぐに首を傾げるだろう。この夫は嘘をついている。しかもそれをはっきり認めて、警察の取調べに対して何回嘘をついたのかさえ読者に教えてくれる。どう見ても夫には何かやましいところがある。警察だってこの男に違和感を抱いている。でも彼は我々に言う。「自分は妻を殺していない」と。明らかな嘘をつくこの男は、必死に別の何かを隠している。それなのに妻との結婚記念日の恒例行事である『宝探し』に純粋にうちこむ。なんだこの男は。

この『宝探し』は妻からのヒントが書かれた紙をもとに、ふたりの思い出の場所を次々と訪れ、そこで新たに得たヒントからゴールである『結婚記念日のプレゼント』を夫が目指すというもの。

彼がヒントをたどって行く、消えた妻との思い出たちに満ちたいろんな場所で、妻が隠した次のヒントと、妻からのラブレターを手にする。そのラブレターには、冷えきってしまった夫婦の愛をもういちど輝かせようとする妻の愛と優しさが綴られていた。

自分がとっくに諦めてしまった愛を、妻はもういちど生き返らせようと、この結婚記念日を用意してくれていた。そして、何者かの手によってさらわれ、いま生きているのかさえ分からない。夫の心は震える。もういちど妻を取り戻して、なんとしても彼女との人生をやり直したい。ど ん な 手 を 使 っ て で も 。

 

警察の捜査があまりに進まないために、夫は周囲の同士を巻き込んで自力での調査も敢行する。やがて彼らは、妻が不法者たちから銃を手に入れようとしていた事を知る。そのタイミングで妻の日記のターンだ。妻の日記がこう語る。「夫に殺されるかもしれないから銃を手に入れなきゃ」。

 

 

……こりゃもう大変だね。どうなるでしょう? 事実はどうなっているのでしょう?

ここまでお付き合いいただいた読了済の方々は、私の書き方と小説の紹介のしかたが悪意に満ちていると思われるだろう。仕方あるまい? 悪意の塊が小説に化けたのがこの「ゴーン・ガール」なんだから。

『私も』嘘はついていない。いっぱい隠して(伏せて)いるけどね。ネタバレ予告もせずにこの続きを語ってしまうのは野暮かアホでしょう。お楽しみはこの後なんですよね。嘘で嘘を洗って、はったりと賭けで殴りあう「夫婦生活」というものは、文字通りの「死闘」だ。

 

私はいつになく小説の展開と仕掛けられた罠にすぐ気付いた。しかも結末までほとんどの予想が当たっていた。タイトルが露骨すぎて引っ掛かる。邦題の訳だけ変えるべきだったのでは? と思うが、予想が当たっても『その想像以上』の悪意をいっちゃうから、この小説に限ってはもうそんなのどうでもいい。

 

こんなに読みやすくて柔らかい文章で、ここまでドス黒い人間の汚さを見せられたのは初めてかもしれない。野暮だのアホだの言いながら、話題をかっさらったベストセラー小説を今さら薦める私がアホなんだ。

もしまだ読んでいない方がいれば、これは絶対手に取るべき小説だ、とだけお伝えする。ぜんぶあるから。愛も欲望も逆恨みも誤解も罠も犠牲も怖さも、そのすべてだ。誰かを好きになった事がいちどでもあるのなら、こいつは押さえておこう。

 

この筆量と軽さと内容の重さで中だるみ一切ナシ。こんなのファンにならずにいられないじゃないか。誰にでも薦められる化物小説だが、さらにダメ押ししようか。

コレ、映画化されている。しかもそっち(映画)の出来もけっこうな評判だ。遅ればせながら私も映画版見たさにブルーレイをポチった。私がポチったときはAmazonでもブルーレイで500円くらいの破格だった(まだ在庫あったよ)。ちなみにあの娘とのアレのシーンもばっちり映るらしいですぞッ!(蛇足)。

 

最後に大声で言おう。私がいちばん伝えたい事だ。あなたが触れる「ゴーン・ガール」が小説でも映画でも、絶対にネタバレを知らない状態である事を薦める。絶対に調べるな。バラされる前に読め(観ろ)。

 

 

  

旅って何かを無くすことなんでしょう「シスターズ・ブラザーズ」

f:id:haruomo:20180214223642j:plain

 

いっぱいある「このミス」に何度も登場したらしいこの「シスターズ・ブラザーズ」は、はっきり言ってぜんぜんミステリじゃない。ロード・ノヴェルだ。ついでに言おう。だけどめちゃめちゃ面白い。私がスゴいとか面白いとか思った小説は、ことごとく世間の評価とズレているようだ。真逆の評価を下されていることも多い。だがこれは珍しく、みんなも私も面白いと思っている小説なんだ。

チラ見したアマゾンと読書メーターでも非常な高評価を獲得しているんだから。めずらしくも、変人である私の評価が他の人と一致したわけだ。これって「誰が読んでも面白い」に限りなく近い小説だってことでしょう。

 

この「シスターズ・ブラザーズ」は、シスターズ兄弟なる殺し屋の兄と弟が、ボスである「提督」に命令され、ある男をぶっ殺すために旅をする話だ。ゴールドラッシュに沸くアメリカで、ふたりのガンマンが男を殺すために馬上の旅をする。まさに西部劇を体現する世界観で、冒険に満ちたエンタメを見せてくれる。『馬に乗って旅する小説』のイメージから、ついコーマック・マッカーシーのようなヘヴィな描写と重量のある文章をイメージする人もいるだろう。だがコレは違う。

弟のイーライが語り手となるこの小説は、軽口叩きながら、とんでもない暴力や倫理観をさらっと話してしまう。なんでもないような口ぶりで中々ヤバいお話をぶち込んでくるのだが、まぁ、これが気持ち良い。だからそれってマッカーシーじゃん、と突っ込まれるなかれ。もっともっと軽いのですぞ。

 

あまり賢くないという設定の、弟イーライをわざと語り手にしているのだろう。こどもが素直に話して聞かせるような丸っこさで過酷な旅が綴られる。神話まではいかないが、ひとつの寓話を見ている状態を作り出している。なんとなく近いな、と思ったのがフランク・マコート「アンジェラの灰」の語り方。あのおしゃべりならばどんな修羅場も面白おかしくなってしまうだろう。この西部劇もそれと似たことをしている。

 

 

いつも無力な女や子供に「仕事の収穫」を分け与えてしまうような、優しい愚か者である弟(語り手)と、計算高く非情な兄との王道を行く凸凹コンビが最大の魅力になる。それだけではなく、その旅を彩り華を添える(?)奇人や変人や珍事件が、まあ出てくる出てくる。ポール・オースターの小説に登場する変人たちを西部劇の色に味付けして、もっと濃い原液を投入しまくって出来上がったようなヤツらの軍団だ。カタログ作れそうなくらいの「変なヤツらと事件」の数々と出会って別れて兄弟の旅は続く。旅の終わり方は賛否あることと思うが、エンディングを好きになれない方でも、それによって小説の価値そのものをダメにされないくらいの魅力が本編に詰まっているだろう。

何かを失うときって一瞬なんだな、と改めて実感する。あとから振り返ると、それは軽率で思慮に欠いて、「そのとき」には分かっていない。この兄弟が旅の果てに失ったものは数え上げることができるだろう。じゃあ、逆になにを得たのだろう? この答えこそ、あなたがこの本から得た感想と教えてもらったことそのもの。

 

私は表紙のデザインが「軽すぎて」敬遠していたうちの一人だが、それを理由に読書候補からはずすのは勿体ないと断言できる良作だった。ロード・ノヴェル自体があまり多くはないので、最近読んでいなくて久しぶりに手に取りたい方、なおかつノワールが嫌いじゃない方、ぜひお勧めです。

 

 

科学やべーぞ「スーパーヒューマン誕生!」

f:id:haruomo:20180211160037j:plain

 

最近させていただいたライティングの仕事の中で、非情に興味深かったものが「ヒトと機械の融合」という記事内容だった。もともと興味もあったので調べながらワクワクし、少しくらい最先端の科学を覗いてみたいという気持ちも生まれた。仕事終了してもまだ知りたくて、とりあえず手に取ったのがこの本だが、素人にも分かりやすい。

世界一の商売人ドナルド・トランプが大統領に選ばれたあの米大統領選挙で、好敵手ヒラリー・クリントンばかりがイジられていたのを誰もが覚えているだろう。じつはあの時、もうひとりのある落選者とその思想が、私の倫理観と価値観をゆさぶっていた。それがトランスヒューマニストゾルタン・イシュトヴァンだ。彼の存在を知っている方も多いだろう。

彼は機械と人間の融合こそが、人類をあらたなフロンティアへ導くのだと提唱し、トランスヒューマニズムの持つ可能性と、人間をもうひとつ上のステージへ押し上げる未来を、あるいは進化を叫んだ。

この男が世界に与えた衝撃の大きさは少し調べていただければすぐに分かる。もし少しでも興味があるのなら「トランスヒューマニスト」や「トランスヒューマン」あるいは「ゾルタン・イシュトヴァン」で検索してみて欲しい。《未来》ってもう《今のココ》なんだ、ってすぐ気付くから。

 

たとえばマイクロチップ。米粒なみのサイズになったマイクロチップを身体の中に埋めこんでいる生物は、現在地球上にどれだけいるだろう。調べたところ、既にめちゃくちゃいっぱい居る。日本にだって犬にマイクロチップが入りまくっている。しかも海外ではかなりの人間に「身体に機械を埋めこんでいる」事実がある。タトゥー並の気軽さで身体に機械を入れられるのだ。手の親指と人差し指のあいだに入ったこの「米粒」は究極の個人情報になる。それが実現させる未来は、「手をかざすだけで通れる改札」「病院へ搬送された患者の血液型や病歴などの情報の瞬間共有」から「預金口座」と「家の鍵」というものまで。さらに小型化された機械は血管の中にだって入れられる。メタルギア」シリーズでお馴染みの「体内のナノマシンによる○○」が現実になる。具体的にできることを言えばがん治療だ。現行の抗がん剤は、がん細胞いがいの必要な細胞まですべて破壊する。それゆえに生物を破壊するほどの副作用を引き起こすが、もしそれがナノマシン(賢い機械)だったらどうなるか?

血管の中を流れる無数のナノマシンに『がん細胞と出会ったときだけ、仕事をしろ』と命令しておけば、ほかの細胞を殺さずにがん細胞だけをピンポイントで殺してくれる。これは人体実験の手前まで進んでいるお話のようだ。

 

 

ものを無くすのも技術のカタチだ。上に挙げた「鍵」は物理的に存在しなくなりつつある。物質的な「鍵」は姿を消し「指紋・眼球(光彩)認証」や単純な「暗証番号」、なかには「スマートフォンで開閉操作」する見えない鍵がこの世にあふれている。仮想通貨で「現金」も消えるかもしれない。AIの進化で奪われる人間の職業に「税理士」がある。バルト三国のひとつエストニアでは、未来の話ではなく、いま既に国から会計士と税理士が消えたのだ。政府の管理するクラウドコンピューティングシステムで、全国民の預金と納税額が管理されているからだ。税理士が電卓叩いて計算しなくてもエストニアでは正しく税金が納付されている。

 

 

じゃあ今度は逆に「存在しないモノ」を作りだしてもらおう。そう、人工四肢に人工内臓だ。脳から送られる電気信号を人工の四肢に連動させるシステムが開発されている。これこそがいま私たちが想像するSF(サイエンス・フィクション)の世界だ。本当にもうすこし先に待っているかもしれない。電気信号で動く手足を持っていれば身障者を助けられるばかりか、開発が進む「外骨格スーツ」や「パワーアーマー」にも飛躍的な発展を与えるだろう。ちょっとだけ想像してみて欲しい。手のない人間に義手をつけて、羽のように軽いものを手で包みこんでもらって、誰かの頬をなでてもらって、そのあとに指2本でコインをぐにゃっと曲げてもらう。これが全て可能になる義手をもつ人間は、もはやひとつ進化した人間となるだろう。

さらに人工アームで腕を増やすことだって可能になる。映画「スパイダーマン2」に登場した宿敵「ドクター・オクトパス」はご存知だろうか? 腰のあたりから4本の人工アームが出ており、それで歩いたり壁を登ったりするSFの申し子である。ヴィジュアルが浮かばない方は「テラフォーマーズ」に登場するヒョウモンダコの劉さんがタコ足を地面にベタっと突っ張るところをイメージしてみていただきたい。アレである。

 

内容は割愛するが、じつはこのドクター・オクトパス状態まで生物をもっていく事に、科学は既に成功している。サルを使った実験で、脳波の命令を察知した人工アームを動かして水を飲んだりモノを動かしたりさせる事が実現されたのだ。言うまでもないが、サル自身はその場で指一本動かさずに「脳の命令だけで」ロボットアームを操っている。ドクター・オクトパスが、ニンゲンである自分本体は腕組みしたままロボットアームだけでズンズン歩くあの状態だ。

 

 

ヒトと機械はあらゆる意味で、いずれひとつになる。

最新の科学技術を明かしてくれる本著を最後に紹介すると、

麦わらのルフィの「伸びる腕」の実現から、エヴァの「ATフィールドや暴走」から、「攻殻機動隊」の光学迷彩から(メタルギアステルス迷彩。これはもう完成しつつあるって知ってた?)、割と最近のアニメ「サイコパス」の管理システムから「PSP」や「モンハンポータブル」の小話に「鉄人28号」をヘボいジョイスティックで操作する技術と可能性から、ドラえもんガッチャマンも飛び出してゴルゴ13の「オレの後ろに立つな」状態の実現方法まで。

 

分かりやすすぎる例えと単語で(HOW )《なにをするための技術を、どうやって》といういちばん面倒くさい部分を(WHAT )《どのキャラクターの能力を、いかにして》に変換して面白く教えてくれている。あたまの良い人って、そうじゃない人(その分野に特化していない人)に対してどうやってソレを伝えるのか無意識に分かってるよね。この著者もそうだ。

 

 

このまま続けて1万文字綴ってもどうせまとまらないので、私の独り言はもうやめる。

なにか興味あったら検索してみて。この本も読んでみて。

「まだオリンピックなんて観てんの? ヒマなの? あいつらヘボいじゃん」っていつか言われる時代がくるから。そのときは「機械と一体化した超人たちの異次元バトルが繰り広げられるパラリンピックが最強」なんて感覚が当たり前の世界になってるから。

 

 

見切り発車したとは思えないクオリティ。カーリン・アルヴテーゲン「罪」

f:id:haruomo:20180206203757j:plain

 

カーリン・アルヴテーゲンは初読。たまたま存在を知っていたが、名前しか知らなかったので「罪」を読む。これはアルヴテーゲンのデビュー作なり。結論を言うと、文句なしの出来ではなかろうか。もっともっともっと凄いミステリはある。いっぱいな。だがしかしコレは、ありえへんくらいのデビュー作としての完成度と、作者の怪物的なポテンシャルを読者に叩きつけてくる。日本語訳されたのは2作目の「喪失」が最初のようだ。どうやら、その後もあれよあれよとヒット作を生み出しているらしい。

 

ストーリーとしては、

主人公が人違いから「とある女」に運び物を押しつけられる。そのとき主人公は、じぶんが経営する会社でちょうど横領の被害にあったところだった。納めていたはずの税金ウン千万円が未納のまま会計士に横領されていた、と。

それでも彼がイライラしながらその小包を指定の会社の社長へ届けると、その箱の中には人間の足の指が入っていた。といった具合。

 

コレをどこにどうやって展開していくの? と首を傾げながら読みすすむ。読了後に思えば、この序盤から派生していく流れをズバリと当てる読書はとんでもなく難しかっただろう。先読みしないで読んでよかった、と感じる。きっとあまりに想像した流れと違って、病的なとまどいを経験したことだろうと思う。どうも最近は北欧の小説家たちによるミステリが豊作となっている節がある。カーリン・アルヴテーゲンでふと思い出したが、最近読んだ「熊と踊れ」のアンデシュ・ルースルンドもスウェーデンの小説家だった。

 

きっと今ホットな本たちと言えば、スウェーデンから発信されたモノに違いない。

そう思ったが他にスウェーデンの作家に心当たりがなかったので、私はとりあえずズラタン・イブラヒモビッチの自伝をポチった。既に手元に届いている。未読本の巨山にぶっ刺さっているので、いつそれを読むのかは未定だが、もしイブラヒモビッチが想像をはるかに超える文章力と哲学を見せてくれたら、私は彼のファンになる。そのときは、ヘスス・ナバスの次に好きなサッカー選手として彼の名を挙げることになるだろう。プレーはよく知らん。男の中の男、ズラタンに期待している。

 

「罪」に話をもどすと、この小説が優れている点としては、暗めの内容や決着にも関わらず陰鬱な印象を読者に残さないというところだろうか。物語の中では、おっさんと、もっとおっさんとの、男どうし心温まるハートフルな「ギリギリ友情」が描かれる。このおっさんふたりはギリギリのところで新世界のトビラを開けたりしないので、我々も安心して見守ることが可能だ。香ばしいお話が好きなお姉さま方にも割とおすすめできる一冊である(一線は越えないけどね)。

小説の構造もとても素晴らしいと思う。わざと物語の最後に「お手紙」をもってくるのはズルい。珍しいパターンだが奇を衒うような小細工ではないし、デビュー作における挑戦と実験にも見えてとても好もしい。構成の丁寧さが、小説のひとつのお手本になりそうにさえ感じる。

 

ショックなのは、作者が『結末を考えずにとりあえず書き出して、書きながら筋を固めていった』と語ること。冗談じゃない。才能とはかくも公平性に欠くモノだったか……。

家族の死から、重度の欝におちいった彼女が「リハビリのために」書きはじめたのが、まさに本作だという。書き終えるころにはすっかり欝は良くなっていたそうな。

暗くて重いテーマをふりまわすくせに、どことなく優しい温かみが染み出してくるこの小説にも納得がいく。作者の人間性のたまものだろう。

 

気軽に触れられるようなミステリを欲する方や、あまりに重厚な本格派に胸焼けしている方にぜひ「罪」を薦めたい。

 

【我は汝、汝は我……】メリメ「カルメンッッッッ!!!!!」

f:id:haruomo:20180204042152j:plain

 

 

なんて叫んだらペルソナが出てきそうだよね。P5杏殿の初期ペルソナ元ネタがメリメの「カルメン」だろう。そして絶対ヘカーテよりカルメンの方がカワイイよね(異論は受け付けない)。本家「カルメン」を読んでみたが、悪女の自覚がないままに悪女してるカルメンがもはや悪魔だった。読了している方ならば知っていただろう、コイツはペルソナじゃ済まないレベルのメガテン悪魔だったでござる。

恥を承知で打ち明けると、私は初めてメリメを読んだ。読書が好きだなんて言うクセに、まだ読んでいない古典名作がゴマンとあるのですな。

最近『ドン・ジュアン』を読んだ。『外套』に触れたのも割と最近だ。ダンテの『神曲』はまだ。ウンベルト・エーコ薔薇の名前』はこれまで3回挫折して未読。ミラン・クンデラの何がスゴいのか全く理解できない。新約聖書は2回読んだけど旧約はまだ買ってもいない。そんな私だ(死ぬまでにはきっとぜんぶ読むのだ、きっと)。

 

あなたを退屈させないために話を戻そう。メリメのカルメンを読んだのです。

と言っても『カルメン』は短編なので、それ単体ではなく、メリメの短編集になっている新潮社さんの一冊にお世話になる。新潮社さんはこの国で最も優秀なのだ。現代日本のあらゆる文学のスタンダードになっている。マンガで言えば『少年ジャンプ』だ。まずはコレを手にするよね。

もっと大人なあなたは『モーニング』や『スピリッツ』を読むだろうか。もう1つ上の格式高い硬さと世界が欲しいあなたならば、青年誌を買うのだろう。これを小説にあてはめると『岩波文庫』になる。反対に『少年ジャンプ』が馴染まない若いあなたは『コロコロコミック』にいくのだろう。もしそれを小説でたとえると、光文社の『古典新訳文庫』になりますな。こいつはスゴいぞ。あのドストエフスキー先生をラノベに変えるほどの翻訳マジックと破壊力をもっている。……話を戻そう。メリメと『カルメン』だ。

 

このたび初めて触れた文学的著名人メリメは「バッドEND至上主義をニコニコしながら掲げる」性癖の持ち主なのかと思った。表題作『カルメン』から始まる物語たちはそのどいつもこいつも執拗なまでのバッドEND軍団だった。

オムニバス形式になったタイトルの「人名リレー(カルメンもそうだよね)」短編たちはどれもこれも「死亡オチ」のエンディングを迎え、『これハッピーエンドにしなきゃウソだろ……』という読者のほんの少しの希望を、当たり前のように踏み潰す。

 

だがしかしそこは古典純文学よ。大丈夫だ。悲劇もあっさりしている。あっさり死んで、淡白に教訓と哲学をあたえて終わる。この狙いをゲームにたとえると『オブリビオン』とか『スカイリム』にあてはまってくるかもよ。そうなのだ。あくまで「細かいところまで求めないから、さっさと先に行かせろや!」というプレーヤー(読者)の邪魔はしないスタンスなんだ。その反面で「もっと詳しくこの世界に浸りたいですけど……」なんて言う読者の希望にさえもガッツリ応える、懐の深さまで見せてしまう怪物でもある。優れた小説に共通する「万能の働き」を当たり前のように備えている。

求める者にはとことん応えて、求めない者の邪魔は絶対にしない。これがメリメの、カルメンの強いところ。

 

 

訳注などで、メリメ自身がフランスの偉大な小説家であるスタンダールと同時代に生き、共通点を持ち、同じく通ったサロンなども語られている。私もそうだが、あなたがもしスタンダール好きなら、メリメはチェックしておいて間違いない小説家であるに違いない。未読の方はぜひ新潮社の翻訳からどうぞ。

今回改めて思い知ったけど、堀口大學せんせーが翻訳した小説ってはずれがないよね。割とマジに。