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年老いる恋愛小説「コレラの時代の愛」

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どうしようもないほど駄作で溢れてしまった恋愛小説の枠に入ってしまうのが余りに惜しいのがこの「コレラの時代の愛」。

恋愛小説となれば、作者が勝手なゲイジュツセイを振りかざし「読む側からすれば訳がわからず付いていけない」「その流れはちょっと意味が分からない。 おかしくない?」と言った物から、昨今の大流行である「さあ、泣いて下さい。どうぞ、さあ、とにかく恋人が死にますからッ!」の押し売りにほとんどが分類されるであろうか。

 

先に言ってしまうと、作者のG・ガルシア=マルケスと言うお方はノーベル文学賞を頂戴してしまっている数少ない“本物の”世界的小説家の一人である。

「文学」の壁と「世間の評価」を踏み潰して通り越す事に成功した一握りの存在であって、今さらそんな人間の小説を薦めるのは野暮な事に違いないのだが、一つだけ言いたい。まだ未読のあなたに一つだけ問いかけてみたい。

 

あなたがこれまで読んだ(観た)小説(映画)の中で、

老い」まで描いた恋愛物は幾つありましたか?

 

そう。これは年を取る恋愛小説なのである。

老年のジイさんとバアさんの、枯れ果てたどうしようもない現在と、その諦めと、ある意味においての満足と妥協からこの物語は始まる。

すぐにジイさんが死に、未亡人となったバアさんの元へ一人の男が現れる。そして言う。

「ずっと好きでした。それは知っているでしょう? 私の番が来たのですね。半世紀待ちましたよ?」……と。

もはやホラーと言える。

 

だがしかし、そこから詳らかに明かされていくのは、夫の亡くなったこの年老いた夫婦の若き青春時代の恋愛譚であり、キラキラとまぶしい恋模様なのである。

その姿を見た我々がどう思うか? きっとこうだろう。

「こういうステキな恋愛って分かる。 おれが(私が)ここにいる」

夫婦が結婚するまでの幾年を描き、ジイさんがいきなり死ぬ冒頭までの時系列をつなぐ。

感情移入を始めた読み手に対し、作者は非情な罠を仕掛ける。

 

“じゃあ、やっと君たちが感情移入したこの妻に50年以上(!?)片思いしたこんな男がいるけど、ねえ、どう思う?”と。

 

なんとその男が半世紀以上その「人妻」に片思いしている。そしてついに現れる。

しかもその過去を事細かに語り、この半世紀以上片思いした男に対しても読者の感情を釘付けにさせる。

「あなた」はこの気持ちが分かるはずだ。

だって、ほとんどの人間が片思いの経験者なのだから。

 

この小説の何が凄いって、ノーベル文学賞を取るほどの純文学としての格式の高さや哲学と、誰にでも読めるような馴染みのあるテーマや文章で構成されている二面性が同居しているポイントである。

 

実に50年以上片思いした女へ会いに行った男が、旦那の死を期にやっと未亡人へアポを取り、ついに対面! 運命の再開! という瞬間に便意を催す。

果てには、ついにキスを交し合ったその年寄り同士が、その感想を「鳥小屋みたいな臭いがするね」と語り合う。それも実にマジメな文学口調で。淡々と。

……下手なコメディより笑えてしまって、何故か変なリアリティがある。

 

そう。これは「老い」を描いた文学なのである。

恋が愛へ。愛が形を変え、家族へ。家族と言う物は諦めと妥協の存在へ。

 

それでも、それらの全てはやはり、「私の大切なあの人」へ___。

恋愛小説が好きだけど読みつくしているあなたへ、少し変わったステキな感情とこの言葉たちを是非。

 

 

「あなた」にお勧め!

・恋愛小説が好き。だけど今流行っている類の物はどうも好きじゃない。

・「純文学」って良く分からないけど読んでみたい気持ちはある。

・文学を勉強している。これはまだ未読である。

・そう言えばノーベル文学賞作家の小説を読んだことが無い。

・なんとなく今、他人との会話の糸口が欲しい(これもギリギリもOK……かも)