いまジョージ・オーウェルを読むということ
トランプ政権爆誕で売上が伸びた物がある。
それが「核シェルター」と「ジョージ・オーウェルの小説」である。
「動物農場」の名前しか知らなかったので、これを機会に読んでみるもツマラナイ。
人間を追い出して「動物が統治する国家」を誕生させた動物たち。
これは発表当時のロシア政権を痛烈に批判している物語だそうだ。
そのトップに君臨したブタがおかしくなっていく内容なのだが、小学校の道徳の時間の教材には適しているかもしれない。だがそれ以上の物ではないと今は感じる。
なぜここまで手放しに誉めそやされているのか、その答えはジョージ・オーウェル自身が「一九八四年」の中で語っている。
【最上の書物とは、読者のすでに知っていることを教えてくれるものなのだ】
確かに言い得て妙である。新しい収穫がなかった今回の読書体験も頷ける。
「一九八四年」はその暗喩に満ちた世界をある程度楽しんで読めた。
“テレスクリーン”によって24時間監視された社会を生きる話なのだが、
そこには“思考警察”の存在が影を落とし、一瞬の気の緩みも許されない。
もし一瞬でも国のトップである“ビッグ・ブラザー”への忠誠を欠く瞬間が見受けられれば、その人間は文字通り「消える」ことになる。
全く関係ないが、プーチン大統領の娘(美人で巨乳)と付き合っていた韓国人男性が「消えた」というオカルト話を思い出した。
この“政府中枢による監視社会”の図式が、エドワード・スノーデンの例の事件に完璧にリンクしてくる。アメリカ合衆国の中枢が自国のメールや電話、チャット等の情報を全て収集、監視していたという事実をエドワード・スノーデンがリークしたといった内容だ。
この小説の“ビッグ・ブラザー”とまるで同じではないか。
その事に思い至った世界中の読書家が今ジョージ・オーウェルの本を手に取っているらしい。
小説としてはこれ以上に優れた物が山積しているが、これはいつの時代へも対応可能な社会への寓話だからこそその価値を高めているようだ。
“ビッグ・ブラザー”は歴史を抹消して書き換え、洗脳教育を施し、「思考警察」を操って、政府の中枢にとって都合の良い(妄信的なバカ)型の人間たちを量産している。
疑問の声を挙げず、不条理と戦わず、つまらない仕事の海で同調圧力に悲鳴を上げながら、どうしようもない人生を「消耗品」として捧げる人間たちだ。
この“一部の権力者においしい思いをさせる為だけの消耗品”たちでさえお役所のエリートという悲しい有様だ。権力は分散しない。絶対に手放されないから。
主人公にはひとつの希望があった。
中枢部の人間たちに、その不条理にいつか打ち勝つであろう可能性を持つ者たちに思い至る。
プロールと呼ばれる、作中では下層階級の中でも下の下の人間たちがそれだ。
結婚して工場に人生を捧げる男たち、子供を何人も産んで毎日洗濯をして身体をボロボロの肉塊へと変えて生きていく女たち。
“テレスクリーン”が監視する価値さえない彼らのような「人として生きて死ぬ本当の人間」が、いつか、何世代先までかかってでも、虚構を打ち負かす、と。このプロールこそが社会の下の方にいる我々だろう。
作中で「その日」は来なかったが……果たして。