世界中の「あの人」を

ブラック会計事務所勤めで人生詰んだ私があなたのヒマをつぶすブログ

真っ白い叫び 「無国籍」

f:id:haruomo:20171204214107j:plain

 

我々が生まれながらに授かった物。日本国の国籍。

もしここ日本で生まれながら、それを与えられなかったら?

「ニホンジン」にも「ガイジン」にもなれない存在、「無国籍」について、本著は語る。

 

そんな人間は自分を語る際になんと言えば良いのだ? 自分は何人だと言えば良いのだろう? どの国籍の自我を持つのが相応しいのか? 役所の手続きは? 海外に行く時は?

 

戦後の日本に生まれた作者。中国本土の戦火に追われ、台湾に逃れた父が、やがて大戦の敵国である日本の横浜中華街での人生を選択。

そんな父の娘として生まれた女性の自伝だ。父は台湾国籍を持つが、日中国交正常化と共に、そのままの国籍が認められなくなる。

その瞬間に立ち会った多くの華僑。彼らは迫られることになる。「台湾は国ではなくなりました。じゃあ、あなたは今どこの国の人間なのか?」と。

 

人は自分の存在を決定する「国籍」を簡単に決められるのだろうか。

その答えなんて簡単に出せるわけはなかった。

執行猶予を求める死刑囚のように「無国籍」がこの世界に生まれる。

 

 

私がこの本を良書だと思う理由に次を掲げる。

作者は嘆かない。「無国籍」としての差別を責める本を書いているわけではない。

この感覚は懐かしい。被害者でもなく、告発者でもない。場合によっては当事者ですらない、真っ白い叫び。

公平で客観的な目線で、「あなた(日本人)対わたし」ではなく、「あなたとわたし対この問題」を語る。散々踏みにじられて、潰された人間がそれをするから価値と意味が倍増している。

私が思い出したのは V・E・フランクル「夜と霧」

 

彼女がこの本で行うのはその問題提起と、己の歩んだ不断の戦いの記録から伝える、私たちが知らないその世界と、向かうべき解決への入り口である。

この狙いは一目瞭然なのである。そう、まずは「無国籍」を知ってもらうことから全てがスタートに立つ。

 

実際にこの自伝でも言及される、米軍の軍人と沖縄の女性の間にも「無国籍」に人生を台無しにされる子供たちが生まれる事を、その実情を、私たちがどれだけ知っていたのだろう。他人事だと思うだろうか。それでも「この国」が関わる問題には違いない。

この本の中で「日本人じゃない女性」が身削って心血注いでそれを調べ、ヒアリングし、日本人に伝えようとしている。これには“価値”も“甲斐”もあるだろうと思う。

彼女の目指した最初の目的が「知ってもらう」こと。

本書の存在がそれを少しずつ「成功」へ押し上げるように感じる。

 

 

作者が見つけた答えの1つが「虹」という伝え方。

流された汗と涙に光が当たって、はじめてそれが認知される。

それはいくつもの色(アイデンティティ・血)を持ち、おなじ虹として折り重なってひとつの「現象」に至る。

 

彼女は「自分」を取り巻く世界と闘う事ばかりの日々から離れ、学び始める。どうしてそうなったのか、なぜこれほどまで無国籍の人間がいるのか、なぜ放っておかれてしまうのか。

 

やがては「国籍」というテーマから、「ひとりの人間」の存在の意味へとシフトしていく。

かつて彼女の父親はこう語った。

「国と国の関係なんかより、ひとりの人間と、もうひとりの人間のつながりの方が深くて大切だ」と。大戦直後に敵国である、日本の横浜で生きることを選んだ、“元台湾人”の口が語る言葉である。

 

母は娘(作者)が幼いころに、勉強をして知識をつける大切さを説いた。

「金なんて盗まれたり無くなったりする。だけど知識は絶対に盗まれない。無くならない」と。

大体の安い定型文は、この「知識」の部分に「意思」という単語を当てはめるが、なるほど、こちらの方が遥かに有益で実際的だ。

 

娘は学んでいっぱい吸収して、同じく【自己の存在を定義する肩書き】に人生を振り回された人々に出会い、それを伝え、助けの手をさしのべる。

これこそ父と母の言葉を合わせた人生なのではないか。

 

 

あなたにおすすめ

・社会問題に関心があるが、無国籍問題に手をつけた事はなかった

・日中(台湾)の歴史の補完や肉付け資料を探している

・面白い自伝を読みたい(文章力も十分に有ると思います)