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シドニー=ガブリエル・コレットと「牝猫」

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世界で最も好きな三人の小説家の内の一人が、シドニー=ガブリエル・コレット

もう二人はサラ・ウォーターズトレイシー・シュヴァリエ。私が最も好きになった小説家は、偶然にも全員がフランスの女流作家だった。自分の感性と人間性が女々しいが故に感覚が良く合うのだろうか、と自己分析してはいる。が、真相は分からない。

 

 

コレットの「牝猫」は初読となったが(ずっとコレ絶版でしたな)、これも良書だった。

若き新郎と、彼と愛し合っている牝猫と、それに嫉妬の炎を燃やす新妻の物語である。私自身がそもそも、この世の生物の中で最も愛おしい存在が猫だと思っている「猫派」の人間なので、とにかく客観的な目で眺める為の努力を強いられてしまった。

 

 

この猫の存在は新郎の「若き青春の面影」と、新婚生活によって捨てて来なければならなかった「これまでの実家での甘い生活」のメタファーになっている。実家から連れてきた猫を抱きしめながら、まさにマリッジ・ブルーを体現する青年の姿と、大胆に今日を生きて昨日なんか亡くしているような新妻が対照的に映る。普通逆じゃないか?

 

新しい人生のスタートにおいて、決して捨てられない無垢(猫)を引きずって生きている青年の心の声ばかりが描かれる罠がしかけられているが、本書は裏読み系の読書をすすめる。

あまり心境が綴られない妻の心の声を想像したら、けっこうな劇薬になりそうだった。猫を最優先する私でも、この若き女の痛切な孤独と喪失感の一端は理解できる。

「作者が敢えて”何を描いていない”のか?」を読むタイプの裏読み読書にも対応(危険への責任は持たない)。

 

 

改めてコレットって凄いなぁ、と思い知らされたのが「女の感覚」と「男のリクツ」を両方とも描いてしまう技術(感性?)を見た瞬間。

男の私より「男の心理や、面倒くさいオトコ理論とオトコ世界観」を上手く語ってしまう。かと思えば女の液体のような心と、その奥にある男には見えない「女のホンネ」もサラっと綴ったり匂わせたり。

作者はそこいらの小説より劇的な、波乱万丈の己の人生で、あらゆる男の心を見極めて生きたのだろう。

踊り子として「身体を扱う仕事」もしていたコレットは、身体の細かい呼吸や震え、そこから醸し出される感情を他の誰よりも上手く察知する。解説にて「コレットは世界で初めて身体の声に耳を傾けた小説家である」と説明されているが、コレットの「お初」はこれだけではないらしい。

 

 

フランスで初めて「女性の為に行われた国葬」がシドニー=ガブリエル・コレットの葬儀だったという。このエピソードは知らなかった。

 

私のような女々しい男性諸氏と、女としての感性が天井までいったと自負する女性にコレットをすすめる。

「女々しい」にも「女」にも、まだまだまだまだ上のステージがある事を魔女(コレット)が教えてくれる。未読の方はぜひ「シェリ」から始めよう。