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民族衣装ってエロいよね「マイトレイ」

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ミルチャ・エリアーデ「マイトレイ」。これは20代半ばのルーマニア青年が、インドの10代少女と淫行に及び、やがて別れるまでの小説である。

と紹介すれば怒られるだろうか。私の所感はそれだった。ヒンドゥー教と家柄とカースト社会の壁に阻まれ、実らなかった恋の傷跡を掻きむしる、作者の告白小説だ。

でも散々豊満ボディのエロインド娘とやりたい放題できたんだから良いじゃないか、男冥利に尽きるよね、おめでとう! ……などという感想だけで読書を終えてばかりだから、私の人間性は薄く、ボキャブラリーはすぐに底を見せるのだろう。

 

「マイトレイ」が持つ、私が感じた少し特別なモノにもきちんと触れねばならない。最初に感じたのはこの小説が持つ透明感。トルーマン・カポーティを思い出した(もちろん初期の)。「冷たい液体が入ったグラスに浮かぶ水滴のような文章」だか何だかカポーティのセンテンスを評した偉い人の言葉があったが、この「マイトレイ」にも同じものを見た。

わざわざ稚拙な日記の写し書きが本文に挟まるのだが、初めはこれが物語の足運びを邪魔して、テンポを崩させる異物のように見える。でもやがて少しの対比が見える。あくまで本文は柔らかくて透明なのに対し、日記は字面こそ柔いが内容は硬い。なぜなら、日記に書かれているのはあくまで感情を超えた事実ばかりだから。

 

そこで冒頭の「インドの10代少女と~」へと話を戻すが、この小説はとりあえず「快楽」や「悦楽」や「官能」のワードをくっつけて語られる小説である。これは間違っていない。なんか無性にエロいから。頑なに「罪深いからダメ」と肉体的な愛を拒んでいた少女を攻略したときの悦びと、その肌の熱さと柔さと剥き出しの欲と、猿と化した人間を見る既視感が清々しい。狙った女(男)と、ついに初めての交わりを迎える悦びを、誰もが知っているだろう。事後に少しばかりの征服感と愛情と虚しさと、言葉にできないマイナスの感情を抱いて眠る(ふりをする)ふたりの初夜だ。後から思い返してみると、どんなに素晴らしい相手との情交でも、相手の服を脱がせるまでの過程こそがピークであり、その後は大体似たり寄ったりのプロセスになるから、思い出としてはあまり優秀じゃない(全ての終着点が同じだから)。

そんな細かいことは長々と語らないが、肉欲のどうしようもない虚しさよりも、それによって打ちひしがれる魂にスポットを当てて、報われない愛の救いの無さを綴る。この小説が森鴎外の「舞姫のような言い訳並べるだけのクソ小説(反転表示)だと思わせないのは、それこそ保身しないで作者のエリアーデが自分をとことん情けないみっともない性欲ごまかし男の姿で描くからかもしれない。

 

読み手によるのだろうが、自分が意外に感じたのは「終わった恋を嘆くのは大抵男の方」だという方程式の逆をこの「マイトレイ」が行ったところ。

過去のために生きるのは大体男で、それによって今日を台無しにする。女は逆に描かれることが多い。明日ばかり夢見て、過去から離れるために今日を犠牲にする。それ故やはり今日を台無しにする。

私が目にしてきた多くの物語の逆パターンの収束を見せた。これはこれで面白い。

 

インド絡みの小説にはどうしても「神話」だの何だのという例えが付いてくるが、そんな面倒くさいモノは放っておいてよろしい。インド娘のサリーをめくって、テーブルの下でこっそり互いの太ももを擦り合わせて、書庫の奥で隠れてインド娘の腕をベロベロ舐めまわして、ついには豊満な裸体を抱きしめてやりたい放題してみよう。まだまだ恋愛も性交もする元気のあるあなたにこの小説を勧めよう。