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ブラック会計事務所勤めで人生詰んだ私があなたのヒマをつぶすブログ

見切り発車したとは思えないクオリティ。カーリン・アルヴテーゲン「罪」

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カーリン・アルヴテーゲンは初読。たまたま存在を知っていたが、名前しか知らなかったので「罪」を読む。これはアルヴテーゲンのデビュー作なり。結論を言うと、文句なしの出来ではなかろうか。もっともっともっと凄いミステリはある。いっぱいな。だがしかしコレは、ありえへんくらいのデビュー作としての完成度と、作者の怪物的なポテンシャルを読者に叩きつけてくる。日本語訳されたのは2作目の「喪失」が最初のようだ。どうやら、その後もあれよあれよとヒット作を生み出しているらしい。

 

ストーリーとしては、

主人公が人違いから「とある女」に運び物を押しつけられる。そのとき主人公は、じぶんが経営する会社でちょうど横領の被害にあったところだった。納めていたはずの税金ウン千万円が未納のまま会計士に横領されていた、と。

それでも彼がイライラしながらその小包を指定の会社の社長へ届けると、その箱の中には人間の足の指が入っていた。といった具合。

 

コレをどこにどうやって展開していくの? と首を傾げながら読みすすむ。読了後に思えば、この序盤から派生していく流れをズバリと当てる読書はとんでもなく難しかっただろう。先読みしないで読んでよかった、と感じる。きっとあまりに想像した流れと違って、病的なとまどいを経験したことだろうと思う。どうも最近は北欧の小説家たちによるミステリが豊作となっている節がある。カーリン・アルヴテーゲンでふと思い出したが、最近読んだ「熊と踊れ」のアンデシュ・ルースルンドもスウェーデンの小説家だった。

 

きっと今ホットな本たちと言えば、スウェーデンから発信されたモノに違いない。

そう思ったが他にスウェーデンの作家に心当たりがなかったので、私はとりあえずズラタン・イブラヒモビッチの自伝をポチった。既に手元に届いている。未読本の巨山にぶっ刺さっているので、いつそれを読むのかは未定だが、もしイブラヒモビッチが想像をはるかに超える文章力と哲学を見せてくれたら、私は彼のファンになる。そのときは、ヘスス・ナバスの次に好きなサッカー選手として彼の名を挙げることになるだろう。プレーはよく知らん。男の中の男、ズラタンに期待している。

 

「罪」に話をもどすと、この小説が優れている点としては、暗めの内容や決着にも関わらず陰鬱な印象を読者に残さないというところだろうか。物語の中では、おっさんと、もっとおっさんとの、男どうし心温まるハートフルな「ギリギリ友情」が描かれる。このおっさんふたりはギリギリのところで新世界のトビラを開けたりしないので、我々も安心して見守ることが可能だ。香ばしいお話が好きなお姉さま方にも割とおすすめできる一冊である(一線は越えないけどね)。

小説の構造もとても素晴らしいと思う。わざと物語の最後に「お手紙」をもってくるのはズルい。珍しいパターンだが奇を衒うような小細工ではないし、デビュー作における挑戦と実験にも見えてとても好もしい。構成の丁寧さが、小説のひとつのお手本になりそうにさえ感じる。

 

ショックなのは、作者が『結末を考えずにとりあえず書き出して、書きながら筋を固めていった』と語ること。冗談じゃない。才能とはかくも公平性に欠くモノだったか……。

家族の死から、重度の欝におちいった彼女が「リハビリのために」書きはじめたのが、まさに本作だという。書き終えるころにはすっかり欝は良くなっていたそうな。

暗くて重いテーマをふりまわすくせに、どことなく優しい温かみが染み出してくるこの小説にも納得がいく。作者の人間性のたまものだろう。

 

気軽に触れられるようなミステリを欲する方や、あまりに重厚な本格派に胸焼けしている方にぜひ「罪」を薦めたい。

 

【我は汝、汝は我……】メリメ「カルメンッッッッ!!!!!」

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なんて叫んだらペルソナが出てきそうだよね。P5杏殿の初期ペルソナ元ネタがメリメの「カルメン」だろう。そして絶対ヘカーテよりカルメンの方がカワイイよね(異論は受け付けない)。本家「カルメン」を読んでみたが、悪女の自覚がないままに悪女してるカルメンがもはや悪魔だった。読了している方ならば知っていただろう、コイツはペルソナじゃ済まないレベルのメガテン悪魔だったでござる。

恥を承知で打ち明けると、私は初めてメリメを読んだ。読書が好きだなんて言うクセに、まだ読んでいない古典名作がゴマンとあるのですな。

最近『ドン・ジュアン』を読んだ。『外套』に触れたのも割と最近だ。ダンテの『神曲』はまだ。ウンベルト・エーコ薔薇の名前』はこれまで3回挫折して未読。ミラン・クンデラの何がスゴいのか全く理解できない。新約聖書は2回読んだけど旧約はまだ買ってもいない。そんな私だ(死ぬまでにはきっとぜんぶ読むのだ、きっと)。

 

あなたを退屈させないために話を戻そう。メリメのカルメンを読んだのです。

と言っても『カルメン』は短編なので、それ単体ではなく、メリメの短編集になっている新潮社さんの一冊にお世話になる。新潮社さんはこの国で最も優秀なのだ。現代日本のあらゆる文学のスタンダードになっている。マンガで言えば『少年ジャンプ』だ。まずはコレを手にするよね。

もっと大人なあなたは『モーニング』や『スピリッツ』を読むだろうか。もう1つ上の格式高い硬さと世界が欲しいあなたならば、青年誌を買うのだろう。これを小説にあてはめると『岩波文庫』になる。反対に『少年ジャンプ』が馴染まない若いあなたは『コロコロコミック』にいくのだろう。もしそれを小説でたとえると、光文社の『古典新訳文庫』になりますな。こいつはスゴいぞ。あのドストエフスキー先生をラノベに変えるほどの翻訳マジックと破壊力をもっている。……話を戻そう。メリメと『カルメン』だ。

 

このたび初めて触れた文学的著名人メリメは「バッドEND至上主義をニコニコしながら掲げる」性癖の持ち主なのかと思った。表題作『カルメン』から始まる物語たちはそのどいつもこいつも執拗なまでのバッドEND軍団だった。

オムニバス形式になったタイトルの「人名リレー(カルメンもそうだよね)」短編たちはどれもこれも「死亡オチ」のエンディングを迎え、『これハッピーエンドにしなきゃウソだろ……』という読者のほんの少しの希望を、当たり前のように踏み潰す。

 

だがしかしそこは古典純文学よ。大丈夫だ。悲劇もあっさりしている。あっさり死んで、淡白に教訓と哲学をあたえて終わる。この狙いをゲームにたとえると『オブリビオン』とか『スカイリム』にあてはまってくるかもよ。そうなのだ。あくまで「細かいところまで求めないから、さっさと先に行かせろや!」というプレーヤー(読者)の邪魔はしないスタンスなんだ。その反面で「もっと詳しくこの世界に浸りたいですけど……」なんて言う読者の希望にさえもガッツリ応える、懐の深さまで見せてしまう怪物でもある。優れた小説に共通する「万能の働き」を当たり前のように備えている。

求める者にはとことん応えて、求めない者の邪魔は絶対にしない。これがメリメの、カルメンの強いところ。

 

 

訳注などで、メリメ自身がフランスの偉大な小説家であるスタンダールと同時代に生き、共通点を持ち、同じく通ったサロンなども語られている。私もそうだが、あなたがもしスタンダール好きなら、メリメはチェックしておいて間違いない小説家であるに違いない。未読の方はぜひ新潮社の翻訳からどうぞ。

今回改めて思い知ったけど、堀口大學せんせーが翻訳した小説ってはずれがないよね。割とマジに。

 

度の過ぎた絶望こそが、むしろ心を浄化する「リリイ・シュシュのすべて」

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岩井俊二監督の「リリイ・シュシュのすべて」は観たことがあるだろうか? あるだろう? アレって最高に最悪だよね(※当エントリの内容はほとんど『今作を知っている方』に向けて書かれています)。

岩井俊二本人が書いている小説版「リリイ・シュシュ」の方は読んだことがあるだろうか? 映画と小説で相互補完し合うようにできていて、どちらにも「言っていないこと」や「書かれていないこと」や「説明されていないモノ」が存在している。

 

内容も一部の展開が映画と小説で異なる。映画で自殺するのは津田詩織(蒼井優)だが、小説では久野陽子(伊藤歩)が自殺する。また、星野(忍成修吾)がぶっ壊れる理由の考察や説が未だに熱をもって語られることがあるが、その明確にして絶対的な答えはここでも提示されない。

原作では久野が死ぬのに、映画にするときに岩井俊二が「久野(伊藤歩)は強く生きていくように見える、死なない」と感じ「津田(蒼井優)は踏み潰されても死なないように見えて、いきなり何するか分からない怖さがある」と思うようになったという。役者に引っ張られるカタチで、なんと原作を捻じ曲げたのが映画ストーリーの真相だそうな。

 

小説版「リリイ・シュシュ」は、なんとチャットの会話文章だけで構成されている。映画版でリリイの音楽をBGMに、カタカタ表示されて観る者の耳と目と脳髄をシゲキしまくったアレだけで小説が構成されている。……これはメッチャ読みやすい! ほかの小説とちがって左から右へと読みすすみ、すべて横書きでチャットの会話文だけで表現されちゃうわけだ。縦書きで「本」のカタチになった物体があまり好きじゃないあなたや、「なろう」系サイトが読書の主戦場になっているあなたにも、こいつはあっという間に手と目になじむ怪物となるだろう(もちろんコレは異世界転生しないけどね)。

 

映画版「リリイ・シュシュ」にしか触れたことがないなら、これを読まないのはもったいない。映画にあったリリイの神がかった音楽と、岩井監督のエグい美しさの映像がない点において、たしかに小説は劣るのかもしれない。だが、裸になって文字だけにされたこの物語を見ていると「削って削ってシンプルになった」痛さ増し増しの生々しい悲鳴が「見えて」くる。映像で観た「リリイ・シュシュのすべて」よりもっと乾いて、もっと淡白で、もっと冷淡で、もっと救いがないストーリーと世界がこの手のなかに顕在しはじめるのだ。

映画を観たあなたなら分かるでしょう? これって人生最高レベルのサイアクだよね(もう褒め言葉ですな)。

 

しつこいけど、繰り返そう。もし映画だけで「リリイ・シュシュのすべて」が終わっている人は、コレも読まなきゃソンしてますぞ。なんたってこの小説、「映画のその後」から物語が始まるんですよ。個人的にはソレはあまり知りたくなかった、というホンネもあるが。

小説だけ読んで映画観てない……なんて強者はいないと思うが、そういう人と、映画自体観たことがない、なんてあなた、おめでとう。いますぐ映画「リリイ・シュシュのすべて」をチェックしよう。

今作で映画デビューとなった市原隼人の『男臭さ0』の、なよなよした女の子みたいなキレイなお顔と繊細な表情を堪能できますぞ。ブレイク前の蒼井優忍成修吾伊藤歩、神秘のカリスマ歌姫「リリイ・シュシュ」に扮するこれまたブレイク前のSalyuの歌声が奇跡的な具合にマッチ。

岩井監督の残酷なまでの“人でなし映像美”と、リリイ(Salyu)の歌声による2重の破壊力たるや「混ぜるなキケン」を地で行く憂鬱力になっております。もはや暴力よりも暴力をしている欝であります。

最後になった今さら映画(小説も)の内容を雑に紹介すると、中学生のいじめと、援助交際と自殺と救いと、救われないものたちと、救えないものたち、といったステキなストーリーがあなたに微笑む物語に仕上がっているのがコイツです。

 

 

リリイ・シュシュのすべて」は、私の人生で出会った映画や小説の「欝物語」の1位タイに君臨している。もう1つは「秒速5センチ」で堕ちる新海さんのアレな(『秒速』も映画しか観ていないなら小説読んだほうがいい。間違いなく)。

素数たちの孤独」という小説の感想で書いた「自分の中の何かを殺す(亡くす)」ために触れる芸術(文化)は必要なのだと改めて感じる。だから私は「リリイ・シュシュのすべて」を1、2年に1回観てしまう。憂鬱に浸りたいから。もっともっと堕ちたいから。

さあ、めちゃくちゃ堕ちたい気分の週末に、まずはこの映画を観よう。絶対サイアクだから。映画を気に入ったら、Salyuが「リリイ・シュシュ」名義でリリースしたアルバムを流しながらこの小説を読もう。そうしたら、きっとまた何年後かに欝になりたくて、この物語に向かって帰ってくるだろう。その時のあなたも「飛べない人間」のひとりだったならね。