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ブラック会計事務所勤めで人生詰んだ私があなたのヒマをつぶすブログ

結局変化なんて望まない。「すばらしい新世界」

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人はなぜ自由を感じるのか? それはきっと不自由を知っているから。縛られているから。だから自由って何なのかを知っている。

もし我々がフラットに考える「自由」が毎日当たり前にある世界だったら、それってたぶんもう「自由」じゃなくなっている。それを話すのが「すばらしい新世界」。

 

ディストピア小説の中でも異色と言われる本書は、コレ系の小説の基本設定である「監視社会」や「不条理と矛盾」をそこまで強く推さず、あくまで人間の存在の本質と社会のバランスにスポットを当てる。

 

作中にはアルコールとタバコと危険薬物に変わる道具(必要悪)として、魔法の錠剤(政府発行)が登場する。そう、大体の理念と基本構造は現代社会と同じだ。フリーセックスが当たり前になり「ひとりは皆の物であり、皆で幸せ」な倫理観を睡眠学習で幼少期から条件付けされる。

結果として「結婚」がなくなり、一人のパートナーと長く付き合うのは不健全となり、上流階級の人間には不妊処置が施され、子供は文字通りの「試験管ベビー」として誕生する。

 

諍いなし。不幸なし。不平等(ある意味で)なし。不安なし(公式のお薬によって)。

私はこの世界が羨ましいと思ってしまった。何も考えなくても苦労しなくても良いのだから。煩わしい手順や根回しをすっ飛ばして、フリーセックスの常識の中で好き放題できるのだから。

 

 

我々の知っている社会の姿を留めているのは唯一、「野生保護区」と呼ばれる土人の集まる文明の進んでいない区画だけである。我々読者の倫理観を持ち合わせる彼らは劣等種としてゴミ扱いされているが、ここに住む人間の方が余程人間らしい。

病気あり、寿命・劣化あり、魔法のクスリなし、アルコールあり、結婚あり、人体出産あり、文学あり。要するに私たちの社会だ。

ない物をねだる人間の本質から彼らは互いの世界を見て、互いに思う「あなたの世界はなんて素晴らしいんだ」と。

極めてマイノリティな存在である数名の「文化人」と、野生保護区出身の土人が管理社会の便宜的な神(システマチックな構造上の統制者)へ問いを、嘆きをぶつける。

「それでも生きているって言えるのか」と。

 

時代と価値観が変わっても「人間」の本質は変わらない。いつだって「自分に無いものが欲しい」のだ。もうひとつ言おう。時代や地域ごとに数々の「神様」がいる。作中で投げられる問いにもあるが「神」って変わるのだろうか?

答えはNOだ。変わらない。信仰とその場合においてのみ「神を信じる人間」の方が変わってしまうのだから。変わらない本質と変わる信仰と、変わらない神と。この小説においては「神」が存在している。不在という形をとって。

 

 

「すばらしい新世界」はこういった面倒くさい事をとても軽い文体で綴る良作だ。あまりに退屈で意味の無い描写が散見するが、それでも読ませる力はある。物語最後の所謂「神との問答」はカラマーゾフの兄弟「大審問官」の1シーンを連想させる内容で面白かった。

 

「なんとなく不幸」というよくある感覚を更に磨いて言語化してみるのなら、この本が適しているだろう。